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天照神社参道橋

2009.03.07


宮若市磯光266

橋長:3.4m
橋幅:2.0m
径間:2.5m
拱矢:0.7m
環厚:28cm




天照神社
「犬鳴川右岸の宮田町磯光に鎮守する天照神社は、古代から中世に栄えた粥田荘の惣社として古<から人々の信仰を集めた神社として知られています。
 天照神社の由来は、貝原益軒著の『鞍手郡磯光神社縁起』によれば、饒速日尊が垂仁天皇十六年に宮田町の南に聳える笠置山原(425m)に降臨し、同七十七年に笠置山原に奉祀したことに始まります。その後、千石穂掛谷、明野(脇野)と移り、延慶元年(1308)年に、白き鶴の住む里に廟を遷すべしとの神託があり、西国探題惣政所玄朝の造営により、現在地に移されました。
 例祭のうち、四月の春季大祭は、往時の百手祭にちなんで五穀豊穣を願い、七月に行われる夏祓祭(御獅子様)、祇園祭、夏越祭(輪越祭)は、疫病から人々を守り、農作の平穏無事のため悪霊を祓うものです。また十二月三日の恵比須祭も大変な賑わいをみせます。
 隔年で行われる御神幸祭では、鶴田の日吉神社まで優雅な高張提灯行列があり、厳粛な祭の中に幻想的世界をみることができます。
 境内には、古墳の枕付石棺を転用したと言われる梵字板碑(不動石)や貝島大之浦炭砿の山神社を合祀した大之浦神社があるほか、一八六一年(萬延二年)現在の遠賀鞍手両郡の石炭経営者に当たる、遠賀鞍手両郡御仕組焚石山元が奉納した石燈など、石炭採掘草創期の活気と賑わいを彷彿とさせて<れます。」

天照宮氏子会
宮田町教育委員会
momomamaさんから教えて頂いた天照神社

側面

最下部はコンクリートです
輪石だけのアーチ橋だったのか、縦桁石がコンクリートに変えられたのか分かりません
もし、コンクリートがなかったとしても若宮八幡宮参道橋のように輪石だけでもつのではないでしょうか
・・・ということで、一応石造アーチ橋に分類します

神社側から