白山宮華表(鳥居)
「白山宮華表は、承応二年(1653)に、米多比(ねたみ)家が知行地である吉開村の産土神・菊理姫神・伊邪那美命を祀る白山宮へ、神々の加護を願って、神域に入る関門である華表を寄進したものです。
米多比家は、武蔵園(埼玉県)熊谷の熊谷次郎直実の後裔で、筑前国(福岡県)粕屋郡中米多比を領して以来、米多比と名乗るようになりました。鎮久の時には戸次道雪や立花宗茂に仕え、大組頭までになり、鎮俊の時には、大組兼家老職をつとめました。
華表は、古い形でシンプルですが、バランスのとれた美しい明神鳥居の様式です。」
柳川市教育委員会 |