櫛原天満宮
由緒
「御祭神は、至誠の神、学問の神として広く熟知され、厚く崇敬されておられます贈正一位太政大臣菅原朝臣道真公で、天神様と申しあげ各地にお祀りされている。菅公は、醍醐天皇の御代、延喜三年二月二十五日(903年)、大宰府の謫居で薨去遊ばされ、やがて大宰府の地に奉祀された。当神社は後鳥羽天皇の御代、文治五年(1189)九月御分霊を仰ぎ長い間当地区の鎮守の神としてお祀りされている。天文年間の兵災で旧記を悉く焼失した。これにより文治五年より寛永四年までの約四百四十年間が不明となる。或は云う、源頼朝創立すと。或は云う、筑州刺史某創立し、社領五十五石余りを寄付すと。元禄十五年春、村長貞宣、寄付募集により神殿を新営、享保四年八月十一日、貞興、拝殿を新営す。この年郡中四社の一つに加えられ、天明二年から藩主有馬氏により毎年祈祷料として米三十苞寄進される。明治六年五月に郷社に列せられ、大正十二年一月十一日、神饌幣帛料共進神社として福岡県より指定される。神殿は昭和三十七年四月御鎮座七百七十五年大祭の奉賛事業として改築、社務所は昭和五十一年四月、御神忌一千七百五十年大祭の奉賛事業として神楽殿の改築をす。当神社の夏祭(よど)は、毎年八月二十五日、二十六日の二日間、氏子が御祭神の神霊を慰め奉り、併せて、氏子の平安無事と氏子の親善の場として古代より伝承されてきた祭行事で、今尚、受け継がれて盛大に行われている。昭和五十六年にはNHKのTV番組“今晩は九州”で放送されたことは皆様方の既にご承知のとおりである。社殿周辺の老松は、寛永四年(1633)春、藩主有馬豊氏が郡吏に命じて四辺に松を植えしめたもので、今も尚、二株を存す。」
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