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北野天満宮参道橋

2007.01.14


久留米市北野町中

橋長:10.5m
橋幅:3.8m
6径間桁橋
架設:年




由緒
「北野天満宮は、菅原道真公を祀った神社でその創立は、天喜2年(1054年)後冷泉天皇の御感夢により当地を選び、関白藤原道隆の孫貞仙僧上に勅して、宝殿九間に五間、拝殿十一間に九間の社殿を造営され、社殿の廻りには、75ヶ所末社と28ヶ所の社寺家があり、領田は一千町歩に及び、京都北野天満宮の代官所として華麗を誇った。
 その後源平の争乱で社殿は破壊されたが、源頼義、頼朝が社殿を寄進し足利義満の代になると筑後一円を荘園として認められ、この地方の人には年貢、兵役、人夫等の課税を免ぜられる。
 戦国時代、兵火に見まわれ社殿は全焼したが永正5年山本郡吉永の城主藤原重永によって再建された。その後天正15年、豊臣秀吉、九州征伐の時、一時社領は没収されたが、承応3年(1654)久留米藩主、有馬瓊林が社殿を改築し、明和年間楼門が潤色され池や橋の造営により、今日の天満宮の景観ができた。
 以来、学業成就並びにひきつけふうじの祈願所として近郷からの参詣者が絶えなかった。
 現在、神社の境内には、樹齢900年の大楠(天然記念物)が茂り慶長鳥居(県文化財)が古色蒼然たる趣を添え、江戸時代に寄進された撫牛、灯籠、鳥居、狛犬等立並び、信仰厚かった往時が偲ばれる。又鰐口、天神縁起三巻(県文化財)及び、足利義満将軍の御教書を始め、南北朝時代から江戸時代中期にかけての古文書、後陽成天皇の御真筆、書画等が、現在保存されている。毎年執り行なわれる10月の御神幸祭の行列(県文化財)は、古い伝統を誇り人のよく知るところである。」

丁丑(平成九年)丁未月
正面

側面

遠景

嘉永5年再建

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