「寛延2年(1749)、久留米藩7代有馬頼撞によって創建された五穀神社の池にかけられた石造反橋である。
この神社は藩営に近いものであり、神社神殿を大庄屋中、拝殿は総郡中から寄進を命じている。この例にもれず、この石橋も文化3年(1806)に総郡中からの寄進によるものである。
長野石(八女市長野で切り出される阿蘇凝灰岩)が使用され、同所の石工たちによって築かれ、筑後地方の石橋架橋技術を示し、貴重である。」
五穀神社は最盛期、神殿と神宮寺円通寺ほか阿弥陀堂・地蔵堂・観音堂などの諸堂があった。明治2年(869)に神仏分離により円通寺が廃寺になり、五穀神社のみになっており、盛時を復元するのに貴重な建造物である。」
久留米市教育委員会 |