日本三大薬師 永勝寺
「天武八年(680)、天武天皇は皇后の病気御平癒を祈願するため薬師寺を建てられ、この永勝寺も勅願所として『宝緑長久万民快楽』を祈願、三年に一度の星祭りも執行されました。天皇はその霊験の程を大いに喜ばれて寺田を賜わり、七堂伽藍が建立され、三十六坊を有したと伝えられます。
のちの白河天皇もことのほか尊崇され、勅願数回に及びました。当時の本坊を禅定坊と称し、『出雲の一畑』『伊予の山田』と共に日本三薬師として、また鎮西一の巨刹としてその偉容を誇りました。そうした歴史の古さは境内から出土した奈良・平安・鎌倉期の古瓦および陶製四耳壺蔵骨器などからもうかがえます。
その後南北朝時代に兵火、戦国期の大友氏の焼討にもあい、天正十五年(1587)にキリシタン大名毛利秀包が当地方を領有した時にも堂宇仏像のほとんどが放火にあいましたが、筑後新領主田中吉政の代に再興され、草堂に薬師仏が奉安されました。その後は一薬師堂草庵として村民によって維持さりたり、荒廃と再興をくりかえし今日にいたっています。
現在の本堂は明治九年、戸長・村民相計って建立されたもので、明治七年に建てられた説教所(この時曹洞宗になる)を正式に永勝寺として再興発展させたものであります。」
久留米市 |