5,268 土師老松神社参道橋
2010.05.30
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嘉穂郡桂川町土師
橋長:2.2m
橋幅:1.8m
単径間桁橋
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老松神社由緒の記
「創建年代詳かならず。社の記録に依れば遠く神代の昔、大己貴命、少彦名命と戮力一心天下を経営給ひし折、吾西海に下り蹕を此の土師の地に暫く駐め給ひしと云ふ。
後、人皇十一代垂仁天皇の御宇、出雲の国の造野見宿禰埴輪を造りて、殉死の者に易ゆるの功を賞して、土師臣の姓を賜ひ、又諸国に於て鍛地を賜ふや、当庄をも其の一つに加へ宿禰に賜ふ。
されば出雲より土師連来たりて当庄を領し、出雲杵築の大社に鎮座の大国主神(大己貴命)を神代の時暫く蹕を駐め給ひし地に勧請して、土師宮と称し斎き祀る。これ当社の濫觴なりと。
その後、大物主神、事代主神を合祀せし処なるも年代詳かならずと云ふ。
後一条天皇萬壽元年 紀元一六八四年(西暦1024年)土師庄(一一七町二三〇歩)を大宰府天満宮に寄附せられ、神領となし給ふに及び、土師宮の相殿に菅公吉祥女を勧請して、御社号を老松大明神(老松宮)と改め、土師庄十二ヶ村の総鎮守と定め給ふ。されば世々武将武家の崇敬厚く、神領も多く、祭礼も賑々しく御繁栄の神社なりしと云ふ。降りて天正年間、豊臣秀吉公九州征討の折、当神社秋月種實に属せしに依り、神領を没収せられ、御繁栄の当神社も御祭礼の多くが頽廃するに至る。その後土師のみの氏神として、幾度かの再建を経ながら四季の御祭礼は継承されて今日に至る。」 |
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県道66号線沿い
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階段を上り、参道を進んだところに架かっています
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親柱
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側面
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社殿側から |