「呉とはこの地をさす言葉で古くは呉姫の伝説からその名が付きました。ここを流れる川を呉川と言い金辺川さらには彦山川と合流し遠賀川に注ぎます。 呉川眼鏡橋は、仲哀隧道の開通計画に伴い、掘削部材運搬等のために築かれました。広島の石工仁よって造られたと伝えられ、石材には甘木市の秋月眼鏡橋と同じく花崗岩(御影石)が使われた珍しい道路橋です。 アーチリブを構成するアーチ石は、がっちりと噛み合った切り石が丹念に組まれて美しい弧を描き、壁側、橋台にも均整がとれ、整然とした端正な姿の中にも力強い気品を備えています。 明治期以前に造られた当時のままの石橋は、遠賀川水系では唯一であり、(筑穂町延寿橋に関しては移築されている。)美しい眼鏡橋の姿を損なうことなく今日に至り、仲哀隧道とともに呉のシンボルとして地元で親しまれています。 福岡県内に現存する石橋の数は、山間部など人目に付きにくい箇所を除いて、54基あります。このうち、筑後地方を中心とした県南部に50基が集中しています。県北では、遠賀川水系では2つと紫川水系で春吉眼鏡橋が現存するのみです。」 〜北部九州における石橋に関する研究、九州共立大学研究報告第9号、1995〜 |