須賀神社の庚申塔群

2007.02.04


嘉麻市山野 山野第一




庚申塔  郷土史家 香月靖晴
「六一日目に回ってくる庚申の日の晩に、組内の人びとが集って徹夜する風習がある。これを庚申信仰といい、無病息災・延命長寿・五穀豊穣を祈っての行事である。ここの石塔群は、昔は村の出入口や三さ路に立てられていた。道の分岐点や交差点は、災いが集まる所と信じられ、そういう所や村の出入り口に立てて、災いが村に及ぶことを防ごうとしたのである。この神を塞神といい、庚申信仰と結びついて庶民の間に広がった。猿田彦大神は道案内の神とされるが、道祖神として塞神や庚申信仰と結びつき、嘉穂地方での造塔は元禄の(1700年)頃から始まり、庚申塔の主流になった。庚申塔造立には種々のきっかけがあううが、庚申の会を十八回終えると、満願成就として立てられることもあった。ここに並んでいるのは、明治年間、政府の政策によって神社などに集められたものであるが、庚申塔は江戸時代以降の庶民信を証明する貴重な文化財である。なお、ここの石塔は他地に比べて大きい。」
庚申塔群
2016.01.21計上


9年ぶりの訪問

右から 庚申塔

庚申尊天 元禄十丁丑歳(1697)

庚申之塔

猿田彦大神

庚申塔 享保三戊戌年(1718)

猿田彦大神

庚申尊天

猿田彦大神 安永四乙未歳(1775)

石像群への階段横

猿田彦大神 明和二乙酉天(1765)
以上 2016.01.23撮影