内宮(小野神社) 市指定文化財・史跡
由緒
「小野氏は鎌倉御家人の一人で、弘安の役(1281年)では小野大進頼承が鎌倉より下って大活躍した様子が、“蒙古襲来絵詞”の中にも描かれています。
しかしその後、霜月騒動で失脚して所領を失います。その子三郎四郎頼時とその母比丘尼如心も鎌倉を追われ西国を目指す途中、嵐に遭うも一心に箱根権現の加護をた憑んで祈り助かったといいます。
ほどなく父頼承の疑いも晴れ、この地を与えられました。頼時は報謝のため箱根権現を勧請し、子孫繁栄と村里平穏を祈る氏神としました。時に嘉暦2(1327)年のことと伝えます。
なお南北朝時代には征西将軍懐良(かねなが)親王が御在所を構えられたこともあり、お手植えと伝える大銀杏や墨跡が残っています。」
平成18年3月 市教育委員会
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