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夕尺の橋

2010.05.30


福岡市東区三苫7丁目




七橋
「筑前国風土記に『三苫に、夕尺の橋をはじめ七つの石橋があって、中でも夕尺の橋は村の前を新宮の方へ行く道のそば(三苫小学校の北側そば)に小さな石橋があるのをいい、かまと山(宝満山の中腹)の修験者が山に入る時には、必ずここに来て修法していた。これは昔からの慣わしである。』と記されている。
 近年は橋としては使われていなかった。この地区の区画整理事業に伴う道路工事でこの境内地に移された。(三苫郷土史より)」
森の屋敷
「8世紀のころ香椎宮の廟司(神官)として武内宿弥とともに京都から下った和気重春(神功皇后の直臣中臣烏賊津臣命の家系)は香椎宮の神領である三苫郷を与えられ、三苫に住居を構え、姓を『三苫』と改め、代々領主として三苫郷を領有し、香椎宮四党の一つとなった。西暦1564年には三苫家33代基宣は香椎大宮司に就任している。ここを『森の屋敷』と呼んでいるが、『三苫家』代々の屋敷跡ではないかと想像される。
 なお『森の屋敷』と呼ばれるこの敷地は、綿津見神社の飛び地境内地となっている。
 また、ここに鎮座されている稲荷社は、大正のころまで近郷の漁師たちが捕れたての新鮮な魚を持って豊漁のお祈りと、お礼に参詣していたとのこと。
 また、物をなくしたときに、ここの稲荷社にお祈りすると、無くした物が出てくるというので、多くの人が参拝していた。(三苫郷土史より)」
森の屋敷

敷地内に夕尺の橋が移設保存されています

七橋
「筑前国風土記に『三苫に、夕尺の橋をはじめ七つの石橋があって、中でも夕尺の橋は村の前を新宮の方へ行く道のそば(三苫小学校の北側そば)に小さな石橋があるのをいい、かまと山(宝満山の中腹)の修験者が山に入る時には、必ずここに来て修法していた。これは昔からの慣わしである。』と記されている。
 近年は橋としては使われていなかった。この地区の区画整理事業に伴う道路工事でこの境内地に移された。(三苫郷土史より)」