西念寺
「開祖小山田正信は、秋月種実(たねぎざね)が毛利元就の下に身を寄せていた頃からの家臣で、永禄二年(1559)頃、種実にしたがって九州へ下ってきた。
天正十五年(1587)豊臣秀吉は九州征伐のため下向し種実を降服させると、秋月に三日間滞在した。二日間は種実の居城ともいわれる荒平城に、もう一日は正信宅に入った。正信は熱心な真宗の信者であり、秀吉に随行してきた本願寺の教如とも親交が深く、秀吉・教如から出家を勧められ、自宅を寺として開山したのが西念寺である。寛永元年(1624)、初代藩主黒田長興の町割りにより現在地に移された。
本殿裏には、藩校稽古館の教授を務め漢詩人としても知られる原古処、その娘采蘋(さいひん)などの墓がある。」 |