秋月の町並 2006.09.03 |
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秋月の由来 「秋月という地名は正暦3年(紀元992年)9月20日に筑前国府宛に大宰府が出した官符によると、紀元940年代にこの地が筥崎八幡宮の荘園になった時に秋月荘と名付けられたからのようである。山に囲まれたこの盆地は外敵の侵入を防ぐには便利な土地である。従って昔から覇権を狙う者は根拠地とした。遠くは神功皇后が古処山に拠った羽白熊鷲を討たれた。 下がっては鎌倉幕府の二代将軍源頼家が、原田種雄に建仁3年(紀元1203年)に秋月荘を贈ったので、種雄は秋月氏と称し古処山城を中核に覇を張り16代385年間、天正15年の豊臣秀吉の九州征伐まで盛衰の歴史を繰り返した。 ここの地名は俗に梅園という。黒田長政の死後、その三男長與が五万石貰って分封され秋月藩主となった。とき元和9年のことである。以来廃藩置県まで12代246年間、黒田氏はここの館に住んでいたのである。」 |
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野鳥川は護岸工事がされていません。隠れた蛍の名所だそうです |