「この石橋は文化七年(1810)に架けられたもので、ことに花崗岩使用は国内でも珍しく、昭和31年4月県指定有形文化財(建造物)に指定されている。 ところで、この橋が架けられる以前は、板橋でありそのため、一度大雨が降れば野鳥川が氾濫し、橋の流されることが度々で、其の都度、藩では橋の架け替えに手を焼いたものである。 その頃秋月藩は長崎警備の代番を命ぜられ、長崎へ赴く者が多かった。それらの人々は中島川に架かる石橋に目をとめて、あんな橋が秋月にも、と思わない者はなかった。これに裁断を下したのが首席家老の宮崎織部舒安である。かくて長崎の石工に頼み工事は着々と進められた。完成までに数年を要し、一度は竣工間際に崩壊するという事態もあったが、さらに慎重を期し再度着工、見事に完成したのが現在の橋である。橋名は初め長崎橋、だが今は眼鏡橋に定着している。」
甘木市教育委員会 |