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祇園橋 本渡市船之尾町 国指定重要文化財 架設:天保3年(1832) 橋長:28.6m 橋幅:3.3m 「 天保3年町山口村庄屋大谷建之助が発起し架設したもので、祇園神社の前にあることから、祗園橋とよばれています。石造り桁橋では日本最大で、長さ28.6m幅3.3mあり45脚の石柱により支えられています。下浦村(現下浦町)石屋の辰右衛門により建造され、地元の砂岩が使用されています。 この付近は、寛永14年(1637)11月 天草の乱で、天草四郎率いる宗徒軍と、富岡城番代三宅藤兵衛の唐津軍とが激突した場所です。両軍の戦死者により川の流れは血に染まり、屍は山を築いたと伝えられています。 毎年、10月の第4日曜日には殉教祭が催され、宗派を超えて御霊の供養が行なわれています。」 熊本県 本渡市港町交差点から西進し、3つ目の交差点を右折、約300m先の橋の上から左手に見えます。 |
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市ノ瀬橋 本渡市下河内下向 「この石橋は太鼓型めがね橋で、橋長22.2m、橋幅4.6mある。明治15年4月最初の橋が架けられたが明治19年7月洪水により倒壊、その後の再建年代は不詳。地元長老の話では富岡線の県道とともに完成したということであり、明治23〜4年頃と思われる。石碑の表には何も刻まれていないが裏には世話人たる佐藤信邦外、石工、大工等の氏名が刻まれている。」 本渡市教育委員会 祗園橋から北西にさらに約3Km進むと左手に一の瀬変電所があります。その先から左に分岐した旧道を約300m進むとこの橋が架かっています。 |
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施無畏橋 本渡市本渡町 架設:明治15年(1882) 橋長:22m 橋幅:3m 「染岳登山口にある無畏庵の参道として架けられたこの石橋は、最初明治4年(1871)に完成したがそのご崩壊し明治15年(1882)9月に再建された。楠浦の眼鏡橋とほぼ同型で橋長22m、幅3m、石材は下浦石である。庵の入口にある記念碑には、戸長、出納方、常詰、世話人、石工、寄進者の名が刻んである。」 本渡市教育委員会 本渡市港町交差点から西に左折し、約3Km進むと、左手に案内標識があります。 |
志安橋 本渡市亀場町 架設:明治15年(1882) 橋長:8.8m 橋幅:3m 国道266号線を牛深方面に進み、ジャスコの先の信号を左折(間違えて手前を左折し、ジャスコの業務用駐車場に入ってしまいました)、小さな小道を約200m進み、左手を注意してみると、案内標識があります。 |
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連河橋 本渡市枦宇土町 架設:1901年頃 橋長:15m 橋幅:7m 国道266号線亀川ダムを過ぎ、約500m先から左手に山道を約1Km進んだ地点です。 |
芦刈橋 天草郡河浦町今田 架設:大正3年(1914) 橋長:10m 橋幅:5.2m 国道266号線、宮地岳小から県道291号線に入り、福連木〜河浦町を結ぶ県道との三叉路に架かる橋です。 |
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轟橋 天草郡河浦町今田 架設:大正3年(1914) 橋長:12m 橋幅:5m 芦刈橋より約1km南下した右手の旧道に架かっています。 |
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楠浦の眼鏡橋 本渡市楠浦町 架設:明治11年(1878) 橋長:17.6m 橋幅:3.7m 本渡市指定文化財 「この眼鏡橋は、楠裏〜宮地往還を結ぶために方原川に架けられたもので、釜の迫の堀切と共に、楠浦村庄屋宗像堅個氏の遺徳を構成に伝える二大事業の一つである。 アーチ型の石橋は優美にして且つ堅牢、橋長26.3m、橋巾3.05m、明治11年6月11日から80日間で完成している。石材は下浦石で、石工も下浦の松次、打田の紋次、足場枠組大工は楠浦の和田茂七である。 宗像庄屋はこの架橋工事の25年前に前潟新田の水害を救うため、方原川下流を変える釜の迫の堀切りの大工事をなし遂げている。 即ち万延元年(1860)から元治元年(1864)まで実に5年余の歳月と延4万5千余人を使った大工事であった。削川碑は、方原川が「なきごしの海」に曲がる河畔に建てられている。」 本渡市教育委員会 本渡市瀬戸大橋から牛深市へ向かって南下し約4Km先県道278号線へ右折、820m先JAのところから市道へ左折、300m先右手に架かっています。 |